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「あさま」「せんげん」


静岡県内では浅間神社の呼び名は「せんげんじんじゃ」ですが、山梨県笛吹市に鎮座する甲斐の国を代表する一之宮の浅間神社は「あさまじんじゃ」と呼ばれています。同じ山梨県内であっても富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社 は「せんげんじんじゃ」と呼ばれています。

東京浅草の浅草寺の呼び名は「せんそうじ」であって「あさくさでら」ではありません。その説明として世間一般的には大陸から伝わってきた仏教関連の寺院には「音読み」で、日本古来の神道関連の神社には「訓読み」である事が多いと言われています。しかし、実際には例外も多く存在します。

「浅間」の読み方を調べてみますと諸説あるようで、ここでは省略しますが、結論からいいますと、どうも「あさま」が元祖であるように思えます。

で、あるとすれば、富士宮市の富士山本宮浅間大社が「せんげん」という音読み(中国式?)で呼ばれているのはどのような経緯があったのか?という疑問が自然と湧いてきます。調べてみても明確な答えがありませんが、静岡市の静岡浅間神社のHPに以下のような答えがありました。

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Q.浅間は「せんげん」「あさま」どちらが正式なのですか?

A.当社では御本社「浅間神社」は「あさまじんじゃ」と申し上げ、神社全体を指す場合は静岡浅間神社「しずおかせんげんじんじゃ」「おせんげんさま」と申し上げます。本来は「あさま」と申し上げましたが、その読みに浅と間の文字を当てたのが「浅間」で、後世音読して「せんげん」と呼ばれるようになったものです。ちなみに「あさま」の語源は一説によると火山を表す言葉といわれております。
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グーグル翻訳のような日本語↑で、皆さん、なんとなく忖度してわかったようなふりをしています。

富士宮市の富士山本宮浅間大社が「全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である。」というような案内をしている観光ガイドやパンフレット等がありますが、日本の神社(約8万社)には、仏教における宗派のような派閥的な組織はありません。寺院の総本山みたいな親分格は、本宗(ほんそう)と呼ばれる伊勢神宮ただ一つだけです。すべての神社は伊勢神宮を本宗(ほんそう)とする宗教法人の神社本庁によって統括されています。かつては明治政府が神社を9つにランク付けした社格制度を導入しましたが、戦後は廃止されました。規模から見れば浅間神社のなかでは、静岡県富士宮市の富士山本宮浅間大社と同静岡市の静岡浅間神社が別格の存在です。明治時代の社格から見れば富士山本宮浅間大社は浅間神社の中では唯一の最上格「官幣大社」でした。(静岡浅間神社は3ランク下の国幣小社)そういう事情もあってか富士宮市の富士山本宮浅間大社が「全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である。」と間違って思われているようです。山梨県内のある有名な浅間神社では「ある一社から御分祀されたものではありません。」と独立宣言をしているかのように案内をしています。

富士山本宮浅間大社が「せんげん」という音読み(中国式?)で読まれている理由・経緯ははっきりしませんが、「神社」の読み方も訓読みで読めば「かみやしろ」ですから「あさまじんじゃ」では音読みと訓読みがごちゃ混ぜです。ですから「あさまかみやしろ」が正式ではないか?という新たな疑問も湧いてきます。

これ以上書くと、その筋の方からお叱りをうけそうなので、この辺にしておきます。

text by shibakin

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富士山腕時計は富士山と太陽の位置から時刻を知ることができるペーパークラフトの日時計です。今回は新デザイン2つの紹介です。「Red Snake」は赤い蛇柄模様をバンドに、「Metal」はグランドセイコーをイメージして作りました。

「Red Snake」 の展開図を見る →→→ こちらから
「Metal」 の展開図を見る →→→ こちらから


富士山腕時計ラインアップ
時計の使い方・仕組み →→→ こちらから


この時計を腕にはめて、周りに「いいだろ?」と自慢しても、反応は冷たいもので「こんなの作って何したいの?」とユーモアの欠片もない言葉ばかりです。(笑) 税込み88円という多分世界一チープな腕時計ですから、売れたとしても儲けは鼻糞みたいなものです。汚い部屋に散らかっていた埃だらけの段ボールで専用の棚を作って机の前の壁に飾ってみました。旅出ちの前のぼっちキャンパー、雨の日の釣り師、何かの事情があって外に出れない人・・・これらの人は私と同類です。作った時計をニヤニヤと眺めながら次作の構想を巡らせています。
段ボールで作った棚

年金生活者にとって、グランドセイコーの「精密さ」と富士山腕時計の「適当さ」の間に機能的な差があるでしょうか?そういう忙しい人もいるでしょうが、私は否であります。大きな欠点として雨の日は使用できませんが、雨の日は家で寝ながら本を読んだりPCしてますから、それで十分です。私の調べたところによりますと、グランドセイコーの年差±10秒の誤差に対して、富士山腕時計の誤差は常時±15分です。(正確に表現しますと誤差15分までを許容するならば、年間の90%くらいまでは理論上の許容範囲内となります。)15分の適当さ(誤差)がこの富士山腕時計の売りでもあります。 
時計の比較

text by shibakin


富士川は「日本三大急流」とされた暴れ川です。その富士川の中で川幅が最も狭まった場所が静岡県富士宮市にある釜口峡(かまぐちきょう)と呼ばれる場所です。↓の写真正面の山は「白鳥山」で山頂は富士宮市(静岡県)と南部町(山梨県)との境となっています。戦国時代にはこの山頂に駿河の今川が城砦を整備しましたが、その後武田信虎が駿河攻めに際し奪取し、駿河の状況をここから見張り、狼煙で甲府まで連絡をしていたようです。さらにその後、徳川家康がここを奪取しました。そのような城取りの攻防の歴史から駿河ではこの山を城取山(しろとりやま)と呼んできました。釜口峡上に架けられている橋は釜口サイフォン橋(かまぐちサイフォンばし)と呼ばれ日本軽金属が富士川第二発電所の送水用に架けた特殊な橋(サイフォン橋)として有名です。
釜口峡に架かるサイホン橋


古くから旅人には船旅の難所として恐れられており、その厳しさは歌川広重 の『富士川上流雪中の図』でも伺うことが出来ます。徳川家康が富士山本宮浅間大社を参拝する際には板橋を架設し渡河している記録がありますが、その後吊り橋はたびたび落橋しているそうです。
釜口峡を描いた歌川広重の『富士川上流雪中の図

明治時代になると針金で結んだものになりました。1918年(大正7年)に歩兵第60連隊が橋を渡ろうとしたところ落橋し、7人が犠牲となりました。
明治時代の釜口峡

1951年(昭和26年)に現在のトラス橋に架け替えられ、ようやく安心して渡ることができるようになりました。※ 発電所の送水用に架けた特殊な橋(サイフォン橋)はこの橋の奥にあります。
釜口橋

→→360度パノラマ写真はこちらから


そんな釜口峡をペーパークラフトにしてみました。
釜口峡の完成写真

個人または個人事業主のかたであれば自由にダウンロードしてご活用下さい。(ニ次使用や業務使用したい場合は許可が必要ですのでご連絡ください。)A4に印刷して完成時で約7×9.5×h8㎝のサイズです。
ペーパークラフト 釜口峡

ハガキサイズ版(左)も作ってみました。
釜口峡のサイズ比較

text by shibakin